18世紀ガラス装飾の最高峰シレジア(もしくは北ボヘミア)のグラス

8世紀のシレジア、もしくは北ボヘミア(ハラフ)で作られたグラス。

中央に夫妻の紋章がエングレーヴィングで彫られたグラスです。この紋章はミトロフスキー伯爵とペルゲン伯爵夫人の紋章。裏側には「Jos. Grafin Mittrowsky geb. Grafin und herrin von pergen  1768」とあり、これはヨーゼファ・ミトロフスキー伯爵夫人/旧姓ペルゲン伯爵令嬢という意味になります。

19世紀に編纂された60巻にも及ぶオーストリア帝国の人名伝記辞典『Biographishes Lexikon des Kaisertums Osterreich』によると、ペルゲン伯爵家でミトロフスキー伯爵家に嫁いだのはマリア・ヨーゼファ・フォン・ペルゲン伯爵夫人(Maria Josepha von Pergen、Marie Josefa Pergenová Josefa grafin pergen、1743-1796)という人物がいます(ミトロフスキー家は第18巻、ペルゲン家は第22巻)。マリア・ヨーゼファ・フォン・ペルゲン伯爵夫人は1764年にヨハン・バプティスト・ミトロフスキー伯爵(Johann Baptist Graf Mittrowsky、Jan Křtitel Mitrovský)と結婚しています。

両家の紋章も、グラスに彫られている紋章と一致します(左側がミトロフスキー伯爵家、右側がペルゲン伯爵家、出典下記参照)。

ヨハン・バプティスト・ミトロフスキー伯爵はハプルブルク政権マリア・テレジアの下、モラヴィア辺境伯領の首席治安判事(Oberstlandrichter,、Nejvyšší zemský sudí)、そしてモラヴィア辺境伯爵領知事室長、知事代理を務めた人物です(モラヴィアはウィーンのハプスブルク家から直接、支配下に置かれた地域)。

この2人が結婚したのは1764年ですが、このグラスはその4年後の日付となっています。両家の家紋が1つにデザインされる場合は結婚記念が多いですが、このグラスが夫人側の名前が彫られていることを考えると、恐らく夫君側のグラスもあったのではないかと考えられます。とても珍しいことに、オリジナルの木製ボックスが付属しています。この時代は旅行用としてこのようなグラスを持ち運ぶことが流行しており、このグラスも旅行用として作られたものと考えられます。

このグラスが製造されたから2年後の1770年に生まれた息子のアントン・フリードリッヒ・ミトロフスキー(Anton Friedrich Mittrowsky、Antonín Bedřich I. Mitrovský)は1815年オーストリア皇帝フランツ1世によりモラヴィア・シレジアの首長(Gouverneur)に任命、1830年にはオーストリア宮廷政庁(宮廷官房、宮延書記局、行政庁)の最高議長(Obersten Kanzler、~1842年)となった人物でした。

参考文献 Bibliography

・『Form-und Scherzglaser Geschliffene und geschnittene Glaser des 17./18. Jahrhunderts』P.318-319に同形状のグラス掲載。

・『FROM NEWWELT TO THE WHOLE WORLD 300 YEARS OF HARRACH GLASS』P.43に同形状の資料掲載。

・『Biographishes Lexikon des Kaisertums Osterreich』に家系図掲載。

・『Wappenbuch der Oesterreichischen Monarchie』第4巻にミトロフスキー家の紋章、第5巻にペルゲン家の紋章掲載(このグラスと一致)。