バロックは、主に17世紀に展開した芸術様式であり、この時代に進行した学問の発展や自然認識の変化と深く結びついて成立した。世界は超越的な力のみによって説明されるものではなく、観察や理法によって把握され得る対象として捉えられるようになり、人間の視覚や感覚が世界をどのように受け取るかという変化した。それに伴い、宗教的価値観も変化し、芸術は、その不可視の力を光や運動、感情の高まりを通じて感覚的に表現する役割を担うようになった。このような認識のもとで、バロック美術は均衡的な従来の様式から離れ、運動、緊張、量感、劇的な明暗対比を特徴とする表現へと展開する。それは無秩序への転換ではなく、変化し続ける世界を把握しようとする新たな秩序の構築であり、観る者の感情と身体感覚に直接訴えかける様式であった。この表現は絵画や建築にとどまらず、工芸を含む広範な造形分野に及び、18世紀初頭まで持続したが、18世紀中葉には重厚さや緊張感から距離を取り、より軽やかで装飾的な価値観を反映したロココ様式へと移行していった。

出典:メトロポリタン美術館
コーヒー&ティーサービス 1855年~1861年
セーヴルのシノワシリーズ。Hyacinthe Régnierによってデザインされた(シノワシリーズはその後も製造し、セーヴルを代表するシリーズとして知られている)。

出典:メトロポリタン美術館
アコーディオン Alexandre Pere & Fils 1850年~1855年
中国七宝に影響されたエナメル装飾のアコーディオン
寓意
バロックの時代に流行した表現としてアレゴリー(寓意)がある。これは比喩的な表現、主に神話を用い、見えない秩序や運命といった捉えにくい概念を目に見える形で表現している。そのため自己表現だけでなく、教材などにも用いられた。特にガラスや磁器では寓意表現は定番の主題であった。
ガラス
バロック期に発展した工芸品といえば、なんといってもガラスである。それまでルネサンス期はその中心地であったヴェネツィアが工芸ガラス製造地として群を抜いており、その技術の流出は固く禁じられるなどしていた。しかし、1612年にアントニオ・ネッリが『ガラス製造術』という書籍を出したり、ヴェネツィアの職人が海外へ移住するなどして、ヨーロッパ各地で良質なガラス製造を求めて研究が進んだ。17世紀末に、イギリスで鉛を用いた高透明度のガラスが開発されると、フランスとオランダの国境地帯やドイツやボヘミアなどでも高透明度のガラスが同時多発的に製造に成功した。そして同時にエングレーヴィング技術が発達し、特にポツダムやザクセン、シレジアなどでは類まれなる製品が製造された。

出典:『Le magasin pittoresque Juillet 1855』
1855年に出品された磁器製の花瓶。
ルネサンスやゴシックなどリバイバルの要素が多い。

出典:メトロポリタン美術館
プレート 1866年~1875年
フェリックス・ブラックモンがデザインし、ウジェーヌ・ルソーが協力しLebuf et Millietで製造されたファイアンスのプレート。ブラックモンはジャポニスムを広めた重要人物である。日本らしい余白を生かした自然的な表現を取り入れている。
ファイアンス
東洋の白磁への憧れは長きにわたりあったが、開発の研究はされたが成功にまでは至らなかった。ヨーロッパで主流として製造されいたのは陶器であった。オランダのデルフト窯、フランスのムスティエ窯など
進む工業化と万博
産業革命後、工業生産への移行は進んでいった。ナポレオン3世はサン・シモン主義に傾倒しており工業生産化を進めた。その代表例が、クリストフルによるシルバープレート(電気メッキ技術による銀メッキ)の製品である。ナポレオン3世は1852年皇帝となった後、クリストフルに4000ピースのサービスを発注しました。これは銀無垢ではなく、シルバープレートで作らせました(クリストフルは電気メッキ技術を英国エルキントン社から取得)。そしてそのサービスが1855年のパリ万博に並べられ、世界に誇示した。結果としてクリストフルはトップの賞であるGrande Medaille D’Honneurを受賞し、シルバープレートが一般化していくととなった。

出典:当店販売品
ナポレオン3世の公式サーヴィスより、クリストフルのシルバープレートによる大皿。
ナポレオン3世期は、中世リバイバルの影響や東洋の影響など非常に多国的なデザインが多く、また第二帝政だけあって帝政様式も交わり、他の国とは違うフランスらしさが感じられる品物が目立つ。
【参考文献】