11TH AVENUE · GERMANY · AUSTRIA · BOHEMIA
ドイツ・オーストリア・ボヘミアの陶磁器
宮廷の磁器から、世紀末の装飾陶器へ。窯の歴史と代表作品をたどる。
白い磁器と、色彩豊かな陶器の歴史
中欧の陶磁器には、ライン地方の炻器、宮廷を彩った白い磁器、世紀末の装飾陶器という異なる流れがあります。硬質磁器の展開では1710年創設のマイセン、1718年創設のウィーンが大きな節目となり、その後は各地の窯が独自の器形や人形を生み出しました。
この辞典では現在のドイツ、オーストリア、チェコの歴史的地域ボヘミアを分け、窯・工房・産地と経営期を紹介します。ウィーンを3項目に分けるのは、その歴史上の変化を読み取るためです。作品写真の年代はその作品の制作年代であり、同じ意匠や窯印の使用期間全体を表すものではありません。
年代でたどる中欧の陶磁器
| 年・時期 | 地域・窯 | 出来事・作例 |
|---|---|---|
| 16世紀 | ジークブルク | 白色炻器のシュネレ。製作者の活動年と器の制作年代を区別する。 出典 |
| 17世紀 | ライン地方 | フレッヒェンに推定される塩釉炻器、ヴェスターヴァルトの蓋付器。 出典 |
| 1710 | マイセン | 硬質磁器の製作所が創設される。 出典 |
| 1718 | ウィーン | デュ・パキエの私営磁器窯が創設される。 出典 |
| 1744 | ウィーン | デュ・パキエの事業がマリア・テレジアに移る。 出典 |
| 1746 | ヘキスト | Metが記す旧窯の活動期間の開始。 出典 |
| 1747 | ニンフェンブルク/フュルステンベルク | 両窯の創設。 出典 |
| 1758 | ルートヴィヒスブルク | 旧窯の活動開始。 出典 |
| 1763 | ベルリン | 王立磁器製作所の創設。 出典 |
| 1764 | フルダ | Metが記す活動期間の開始。 出典 |
| 1792 | シュラーゲンヴァルト | MAK製作者記録に記された創設年。 出典 |
| 1802 | ピルケンハンマー | MAKの製作者項目に記された創設年。 出典 |
| 1804 | ウィーン | 年記804をもつ夜空のカップ&ソーサー。 出典 |
| 1850 | クレシュテルレ | プラハ工芸美術館が紹介する、トゥーン窯の貝殻と珊瑚の花瓶。 出典 |
| 1864 | ウィーン | 宮廷磁器製作所の活動期間の終わり。 出典 |
| 1885 | ゴールドシャイダー | ウィーンで創設。 出典 |
| 1892 | アンフォラ | Metの工場記録における活動期間の開始。 出典 |
| 1903/1909 | グムンデン | 陶器工場の創設/シュライス芸術工房の設立。 出典 |
| 1911年頃 | ヴァーリス | クラウスによる幾何学的な花文様の花瓶。 出典 |
| 1923 | アウガルテン | ウィーンの磁器製造を再興。 出典 |
| 1927 | ウィーン工房 | ヴィーゼルティーアが陶芸制作部門を率いる。 出典 |
| 1938 | ゴールドシャイダー | ナチ体制下のアーリア化により家族経営が断たれる。 出典 |
ドイツ
マイセン|Meissen
1710年創設
硬質磁器・初期の赤色炻器

作品番号:42.205.26
The George B. McClellan Collection, Gift of Mrs. George B. McClellan, 1941
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
1710年に設立されたマイセンは、ヨーロッパの硬質磁器生産を切り開いた窯です。その技術的な基盤にはベトガーとチルンハウスの研究があり、初期には赤い炻器と、乳白色を帯びた磁器が作られました。掲載した1713–20年頃の花瓶は、その初期磁器を伝える作例です。
1720年代には上絵の色彩が充実し、シノワズリの絵付けが発展しました。食器だけでなく大型の動物像などにも挑んだ点が重要です。華やかな絵付けから入る場合も、初期の器体そのものが持つ色と形を見比べると、技術の変化がわかります。
窯印・年代の手がかり
掲載花瓶はMetの記録で無銘です。マークがないことだけで初期マイセンを除外することはできません。ARなどの文字と、所有者の紋章・収蔵番号も区別して読む必要があります。
ドイツ
ニンフェンブルク|Nymphenburg
1747年創設
硬質磁器

作品番号:1974.356.524
The Lesley and Emma Sheafer Collection, Bequest of Emma A. Sheafer, 1973
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
バイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフが1747年に創設した磁器窯です。宮廷の食卓装飾と結びついた人形に、とりわけ優れた作品が残ります。
フランツ・アントン・ブステッリが手がけたイタリア喜劇の人物像は、衣装、身振り、人物同士の応答を小さな彫刻に凝縮したものです。掲載の《ハーレキーナ》では、登場人物の衣装と舞踊のような姿勢が一体となっています。Metはこの連作を、同時代のドイツ磁器人形の中でも完成度の高いものと評価しています。
窯印・年代の手がかり
1763年頃の掲載作品には、台座の支持部前面に盾の印が押され、金彩の痕跡があると記録されています。ウィーンの盾形印とは、窯と作例を分けて確認します。
ドイツ
ヘキスト|Höchst
旧窯:1746–1796年(Met)
硬質磁器

作品番号:64.101.290
Gift of Irwin Untermyer, 1964
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
18世紀のヘキスト窯は、磁器人形の豊かな表現で知られます。Metが示す旧窯の活動期間は1746–1796年。ウィーンから来た技術者リングラーが生産の発展に関わり、技術者の移動が窯の成立を支えました。
《フェンシングの稽古》は1755年頃の硬質磁器で、原型はヨハン・フリードリヒ・リュックに帰属するとされています。宮廷の教養や身のこなしを、小さな人物群で表す造形を楽しめます。作者の帰属には推定が含まれます。
窯印・年代の手がかり
掲載作品の底面には紫色の車輪が記録されています。この1755年頃という制作年代を、車輪印すべての年代に置き換えることはできません。
ドイツ
フランケンタール|Frankenthal
本項の作例:1773年頃
硬質磁器・上絵・金彩

作品番号:1982.60.205
The Jack and Belle Linsky Collection, 1982
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
フランケンタールの磁器は、人物群の構成や物語性に注目したい窯です。大英博物館の造形家リュックの解説は、マイセンで働いた人材が七年戦争期にフランケンタールへ移った経緯を示しています。窯の個性は、各地を移動する職人の経験とも結びついていました。
《キュロスの首を持つトミュリス》は1773年頃の作例です。Metは原型作者をカール・ゴットリープ・フォン・リュック、またはフランツ・コンラート・リンクへの帰属とし、一人に確定していません。神話や古代史を演劇的な場面として表した磁器群像です。
窯印・年代の手がかり
掲載作品は無銘と記録されています。作者名も複数の帰属候補があり、窯の帰属と原型作者の確度を分けて扱います。
ドイツ
ルートヴィヒスブルク|Ludwigsburg
旧窯:1758–1824年
硬質磁器

作品番号:1982.60.192
The Jack and Belle Linsky Collection, 1982
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
1758–1824年に活動した宮廷磁器窯です。創設者カール・オイゲン公はバレエの庇護者でもあり、窯の踊り手の人形は宮廷舞台芸術との近さを示しています。
ヨーゼフ・ネースによる《パ・ド・ドゥ》は1760–63年頃の作品。Metはこの種の踊り手を、1760–66年に公のためにバレエを制作した振付家ジャン=ジョルジュ・ノヴェールと結びつけています。人物の姿勢や衣装を見ることで、当時の舞台文化を読み取ることができます。
出典・所蔵品記録
ドイツ
ベルリン王立磁器製作所|KPM Berlin
1763年創設/掲載作例:1820–25年
硬質磁器

作品番号:1993.335
Purchase, Robert L. Isaacson Gift, 1993
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
Metの製作者記録では1763年創設とされるベルリンの王立磁器製作所です。本項では19世紀前半の作例を通して、18世紀の宮廷磁器に続く時代の造形を紹介します。
1820–25年の花瓶は高さ約44cmの硬質磁器です。器底にはフリードリヒ・ヴィルヘルム3世に言及する、部分的に判読困難な文字が記録されています。器形、装飾、刻まれた言葉を合わせて観察すると、王室文化と磁器の関係をたどる手がかりになります。
窯印・年代の手がかり
掲載花瓶の脚の内側に、釉下青の王笏が確認されています。王笏印と、茶色の文字書きは別の記録項目です。
出典・所蔵品記録
ドイツ
フュルステンベルク|Fürstenberg
1747年創設
硬質磁器

作品番号:50.211.211
Gift of R. Thornton Wilson, in memory of Florence Ellsworth Wilson, 1950
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
1747年創設の磁器窯で、Metにはジーモン・ファイルナー原型の人物群が収蔵されています。《2人の鉱夫》は1757–58年頃の硬質磁器。宮廷の人物だけでなく、働く人の姿も磁器彫刻の題材になったことを示します。
本作のような人物群を見るときは、服装、道具、台座との関係に注目すると、作品が表す職業や役割を理解しやすくなります。創業年と原型作者の活動年、実際の制作年代を区別して読むことが大切です。
窯印・年代の手がかり
掲載作品の底面には黒いインクで「No 64」とあります。所蔵品記録はこれを記載していますが、本項では窯の標章や年号とは断定しません。
出典・所蔵品記録
ドイツ
アンスバッハ|Ansbach
磁器製造者の記録:1758–1860年(Met)
硬質磁器

作品番号:64.101.324
Gift of Irwin Untermyer, 1964
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
Metの磁器製造者記録は1758–1860年という期間を示しています。本項は同地の磁器を扱い、陶器・ファイアンスの系譜までこの期間にまとめていません。
《鳥籠を持つハーレクインとコロンビーヌ》は1762年頃の作例で、イタリア喜劇の登場人物を組み合わせたものです。Metは原型をヨハン・フリードリヒ・ケンドラーに帰属させています。名前の似た造形家との混同を避け、記録にあるフルネームで参照します。
窯印・年代の手がかり
掲載作品は無銘と記録されています。印だけによる比較ができない作例として、器体・造形・博物館の帰属を合わせて参照します。
出典・所蔵品記録
ドイツ
フルダ|Fulda
1764–1789年(Met)
硬質磁器

作品番号:1982.60.189
The Jack and Belle Linsky Collection, 1982
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
Metが1764–1789年の活動期間を記す窯です。《眠る羊飼いの娘》は1775年頃の硬質磁器で、原型はゲオルク・ルートヴィヒ・バルトロメーに帰属するとされています。
牧歌的な人物像は、18世紀の小彫刻の親しみやすい題材です。この作品も、人物の身振りや静かな場面の構成に魅力があります。原型作者の帰属が推定である点は、作品の制作年代や窯の帰属とは分けて記載します。
出典・所蔵品記録
ドイツ
ゴータ|Gotha
製作者記録:1757–1900年/作例:18世紀後半
硬質磁器

作品番号:42.205.240a, b
The George B. McClellan Collection, Gift of Mrs. George B. McClellan, 1941
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
テューリンゲンの磁器生産を紹介する産地の一つです。Metの製作者記録は1757–1900年を掲げ、掲載の蓋付鉢を18世紀後半の硬質磁器としています。
この鉢には感情や喜びに触れたドイツ語の文が記されており、文字が器の装飾と意味を担っています。器にある言葉はすべて製造情報というわけではなく、銘文そのものを鑑賞する視点も必要です。
窯印・年代の手がかり
リボン状の部分にある文章は銘文として登録されています。文字があることと、窯印・年号があることを区別します。
出典・所蔵品記録
ドイツ
ヴァレンドルフ|Wallendorf
創設年の記録:1764年/個別作品の年代欄に不一致あり
硬質磁器
解説・図例を読む
テューリンゲンの硬質磁器窯です。Metには「J. M. Busch」の名を記したカップ&ソーサーがあり、底面に青いW、ソーサーに刻まれた数字12が報告されています。
ただし同じ所蔵品ページには、窯の創設を1764年とする製作者欄と、作品年代を1762年とする欄が併存しています。この不一致を補正して断定することはせず、本項では創業前後の細かな年表や写真の年代見出しへの利用を控えています。
窯印・年代の手がかり
青いWは同館が窯印と明記しています。一方、12を年号と解釈する根拠はこの記録にはありません。年代の不一致があるため、本作を確定した年別窯印見本には用いません。
出典・所蔵品記録
ドイツ
リンバッハ|Limbach
1762–1939年(Met)
硬質磁器

作品番号:42.205.285a, b
The George B. McClellan Collection, Gift of Mrs. George B. McClellan, 1941
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
テューリンゲンの磁器窯で、Metの製作者記録は1762–1939年の期間を示しています。掲載した1775年頃の茶入れは、飲茶に用いる容器にも各地の磁器生産が広がっていたことを伝えます。
小さな蓋付容器では、蓋と胴の釣り合い、把手、絵付けの配置も見どころです。本作は硬質磁器で、底面の文字印が窯の帰属を確認する一つの手がかりになります。
窯印・年代の手がかり
掲載作品の底に、緑の上絵による結合したLBが記録されています。1775年頃はこの茶入れの年代であり、LB印の使用開始・終了年を示すものではありません。
出典・所蔵品記録
ドイツ
ジークブルク|Siegburg
本項の作例:16世紀/製作者の活動:1559–68年
白色炻器・ピューター

作品番号:27.224.4
Fletcher Fund, 1927
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
白色の炻器で知られるライン地方の産地です。掲載の《最後の審判》を表したシュネレは16世紀の作品で、磁器がヨーロッパで生産されるより前の、精緻な陶器文化を示しています。
Metは製作者をF. Trac(1559–68年に活動)とし、器体を白い炻器、蓋をピューターと分類しています。彫塑的な宗教図像、細長い器形、金属の蓋を組み合わせた飲用器として観察できます。
窯印・年代の手がかり
浮彫の人物の足元にFT、蓋の内側に未同定の印があります。製作者の活動期間を、器の確定した制作年として読み替えないようにします。
出典・所蔵品記録
ドイツ
フレッヒェン|Frechen
本項の作例:1660–80年
塩釉炻器

作品番号:10.113
Gift of M. Harris, 1910
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
ライン地方の塩釉炻器を紹介する産地です。掲載のベラルミン・ジャグは1660–80年の作例ですが、Metは産地を「おそらくドイツ、フレッヒェン」としています。
頸部のひげを生やした顔と胴の形をもつこの種の容器は、磁器とは異なる茶褐色の器肌と立体的な装飾が見どころです。同じ形式の器を見つけても、この一例の帰属をもってすべてをフレッヒェン製とは判断できません。
出典・所蔵品記録
ドイツ
ヴェスターヴァルト|Westerwald
本項の器体:17世紀初め
塩釉炻器・ピューター

作品番号:20.62.8
Gift of Mrs. Robert W. de Forest, 1920
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
磁器の窯名ではなく、炻器を生産した地域名です。本項の蓋付ジョッキは17世紀初めの塩釉炻器で、ピューターの蓋を備えています。
陶器の本体と金属の蓋には、それぞれに年代を考える手がかりがあります。作品全体の年代が、蓋の銘だけでは決まらない例としても有用です。器と金属部を一体のものとして鑑賞しつつ、記録は部位ごとに読みます。
窯印・年代の手がかり
蓋にHB 1654の彫りと3つの盾形の印が記録されています。一方、作品年代は17世紀初めとされます。「1654」を器体の焼成年や陶窯の年号印とは扱いません。
出典・所蔵品記録
オーストリア
ウィーン:デュ・パキエ期|Du Paquier
1718–1744年:デュ・パキエ経営期
硬質磁器・上絵

作品番号:45.29.1a, b
Gift of R. Thornton Wilson, in memory of Florence Ellsworth Wilson, 1945
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
クラウディウス・イノケンティウス・デュ・パキエが1718年に創設したウィーンの磁器窯です。カール6世から製造の特権を得て、マイセンに続くヨーロッパ初期の硬質磁器生産を担いました。
食器や花器の装飾は、バロックの豊かさと独特の自由さを備えています。掲載の牡丹を描いたティーポットは1735年頃の作例。1744年に事業はマリア・テレジアに売却され、続く宮廷経営期へ移ります。ここでは創業者による私営期と、後の宮廷磁器を分けています。
オーストリア
ウィーン宮廷磁器|Imperial Vienna
1744–1864年:宮廷経営期
磁器

作品番号:2019.227.1, .2
Purchase, The Charles E. Sampson Memorial Fund and funds from various donors, 2019
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
デュ・パキエから引き継がれたウィーンの磁器製作所は、1744–1864年を宮廷経営期として区別できます。創業時のバロック磁器から、19世紀の器物へ続く歴史を持ちます。
1804年の《カップ&ソーサー》では、黒い夜空と月、星が主役になっています。Metは、同時代に多い金彩や古典的装飾と対照的な例とし、ロマン主義の詩に見られる月への関心との関連を述べています。ウィーン磁器を一つの装飾様式に限定しないための作例です。
窯印・年代の手がかり
本作のカップ底には釉下青のオーストリアの盾形印(Bindenschild)、年の刻印804、成形職人の番号47があります。ソーサーの年記は80?で末尾不明。読み取れない桁を補っていません。盾形の印を「蜂の巣」と見誤らず、年記と職人番号を別に確認します。
同じ作品の底面写真

Purchase, The Charles E. Sampson Memorial Fund and funds from various donors, 2019
Public Domain / CC0 · 同じ作品の所蔵品記録

Purchase, The Charles E. Sampson Memorial Fund and funds from various donors, 2019
Public Domain / CC0 · 同じ作品の所蔵品記録
オーストリア
アウガルテン|Augarten
1923年:アウガルテンで再興
磁器
解説・図例を読む
ウィーン市の歴史事典によると、磁器製作所は1923年にアウガルテンで再興されました。18世紀創業のウィーン磁器との関係を持ちながら、1864年までの宮廷製作所とは時期を区別する必要があります。
したがって「ウィーン」という名称だけで18世紀製と判断するのではなく、アウガルテンの名称、作品の作者、器形、制作記録を合わせて参照します。本項は1923年以後の再興という歴史上の区切りを示すもので、会社の継続を1718年から一続きに数えていません。
オーストリア
ゴールドシャイダー|Goldscheider
1885年創設/1938年:強制的な経営の断絶
装飾陶器・人物像・仮面
解説・図例を読む
1885年創設のウィーンの陶磁器企業です。MAKの展覧会解説によれば、3世代にわたって1万種類以上の陶製モデルを生み、人物像、仮面、装飾陶器の多彩な制作を行いました。ロレンツル、ボッセ、ポヴォルニー、ヴィーゼルティーアらとの協働も重要です。
1938年にはナチ体制下の「アーリア化」によってウィーンでの家族経営が断たれ、兄弟は米国・英国で新たな事業を始めました。戦後のウィーンへの帰還や1950年代の商標ライセンス売却まで、同じ名称でも製造地と経営期を区別して考える必要があります。
オーストリア
ウィーン工房の陶芸|Wiener Werkstätte
本項の中心:1910–1920年代
陶器・施釉された陶彫
解説・図例を読む
ウィーン工房の陶芸は、磁器製作所とは別の、近代の工芸と彫刻が交わる領域です。MAKはその制作における女性芸術家の役割を重視し、ヴァリー・ヴィーゼルティーアを代表的な存在として位置づけています。
ホフマンとポヴォルニーに学んだヴィーゼルティーアは、1927年から陶芸の制作部門を率いました。MAKの2026年の回顧展は、表現力豊かな陶彫と、1928年以降の米国での活動をあわせて紹介しています。量産の窯名だけでなく、デザインと造形を担った作家から作品を読むことができます。
オーストリア
グムンデンの陶器|Gmunden
1492年:史料/1843年:工房/1903年:工場
陶器・ファイアンス
解説・図例を読む
グムンデンは長い陶工の伝統を持つ産地です。市の陶芸史は1492年の陶工の家の記録を挙げますが、これは現在の会社の創業年と同じ意味ではありません。古いファイアンスの歴史と近代の事業を区別してたどります。
1843年にフランツとフランツィスカ・シュライスが工房を設け、1903年には息子レオポルトがGmundner Tonwarenfabrikを創設。1909年のフランツとエミーリエ・シュライスの芸術工房からは、ウィーン工房の芸術家との協働が展開しました。緑の炎状文様をはじめ、白い釉面と流動的な装飾が歴史を彩っています。
出典・所蔵品記録
ボヘミア
クレシュテルレ|Klösterle / Klášterec nad Ohří
本項の作例:19世紀/比較資料:1850年
硬質磁器

作品番号:1995.268.245, .246
The Hans Syz Collection, Gift of Stephan B. Syz and John D. Syz, 1995
Public Domain / CC0 · 所蔵品記録
解説・図例を読む
クラーシュテレツ・ナト・オフジ(ドイツ語名クレシュテルレ)の磁器を紹介します。プラハ工芸美術館は同地のトゥーン磁器窯による1850年の貝殻と珊瑚の花瓶を、自然の形を造形に取り込む作品として取り上げています。
掲載したMetのカップ&ソーサーは19世紀の硬質磁器で、文化・地域欄には「German, Klosterle」とあります。本辞典では歴史的な分類を作品記録に残しながら、産地を現在のチェコにあるボヘミア地域に配置しました。会社の銘が記録されていないため、このカップを特定の経営者の時期へ狭めてはいません。
ボヘミア
シュラーゲンヴァルト|Schlaggenwald / Horní Slavkov
1792年創設(MAK)/紹介作例:1835年頃
磁器
解説・図例を読む
ホルニー・スラフコフの磁器窯で、MAKの製作者記録では1792年創設とされています。同館はリペルト&ハース、アウグスト・ハース、ハース&チジェクなどの関連名称を挙げており、名前の変化をたどりながら作品を調べることができます。
1835年頃の磁器製の小鍋(KE 6366-1)は、木の柄を備え、青い帯、金彩、小花、蝶や甲虫を装飾に取り入れています。器形だけでなく、木製部分や蓋・受皿との組合せも、使い方を理解する手がかりです。
ボヘミア
ピルケンハンマー|Pirkenhammer / Březová
1802年の創設記録/19世紀の経営期/1935年頃の作例
磁器
解説・図例を読む
ブジェゾヴァの磁器製造の系譜です。MAKはPirkenhammerの製作者項目に1802–1918年、Christian Fischerの項目に1846–1857年を掲げ、Fischer & Mieg、Fischer & Reichenbach、OEPIAGなどを関連づけています。これらは企業名・経営期を分けた記録として読みます。
一方、アムステルダム国立美術館にはPirkenhammer名義の1935年頃の花文様のコーヒー器が収蔵されています。したがって、MAKの1918年という区切りを、産地の磁器生産や名称の使用がすべて終わった年とは解釈できません。器にある企業名と年代を照合する必要があります。
ボヘミア
アンフォラ|Amphora, Turn-Teplitz
1892–1945年(Met)/紹介作例:1895–1904年頃
陶器
解説・図例を読む
テプリツェ地域のアンフォラは、世紀末の有機的な器形を考えるうえで重要な工場です。Metは製造者の活動を1892–1945年、花瓶2020.64.2を1895–1904年頃の陶器とし、制作地を当時の名称で「Turn-Teplitz, Austria」と記しています。
この花瓶と、米国ハンプシャー陶器の製品には、器形や浮彫の類似が見られます。Metはアンフォラの器から型を取った可能性を述べていますが、推定です。ヨーロッパの形が海を越え、異なる釉や仕上げを与えられる流れを示す比較例です。
窯印・年代の手がかり
紹介作品にはアンフォラの工場印が押されていると記録されています。ただし同ページは印の文字・形を詳述していないため、本項では推測による図案化や年別分類をしていません。
出典・所蔵品記録
ボヘミア
セラピス=ヴァーリス|Serapis-Wahliss
紹介作例:1911年頃
白色陶器・上絵・金彩
解説・図例を読む
ウィーンの販売・デザイン文化と、ボヘミアの製造が結びつく例です。Metは1911年頃の花瓶をカール・クラウスの作品とし、製造者Serapis-Wahlissの所在地を「Turn-Teplitz, Bohemia, Austria」と記録しています。
ホフマンのもとで学んだクラウスは、白い陶器に幾何学化した花と金の点描を配しました。作品を見るときは、磁器を扱った会社の製品だからといって素材まで磁器と決めず、個別の所蔵品記録で確認します。この花瓶は白色の陶器として解説されています。
窯印・年代の手がかり
同作にはSERAPIS / WAHLISSの彩画印、WIENER SERAPIS FAYENCE / WAHLISSの押印、9680などの番号が報告されています。「WIENER」の語だけを根拠に製造地をウィーン市内と判断しない例です。番号を制作年とは読み替えません。
出典・所蔵品記録
素材・窯印・年代
磁器・炻器・陶器を見分けて読む
解説・図例を読む
所蔵品記録の素材欄を見ると、同じ「陶磁器」の中の違いが明確になります。マイセンの花瓶は硬質磁器(hard-paste porcelain)、フレッヒェンの壺は塩釉炻器(salt-glazed stoneware)、アンフォラの花瓶は陶器(earthenware)です。
ファイアンスは錫釉陶器を指す用語です。ブランド名にFayenceやPorcelainが含まれていても、まずその作品の素材欄を優先します。また、蓋の金属や木の柄など、陶磁器以外の部分は別素材として記録されます。
素材・窯印・年代
歴史的な地名と、現在の地域区分
解説・図例を読む
ボヘミアは現在のチェコの歴史的地域です。ドイツ語とチェコ語の地名が併存するため、この辞典では旧名と現地名をできるだけ併記しました。MAKはSchlaggenwaldをHorní Slavkov、PirkenhammerをBřezováと結びつけています。
Metのアンフォラやヴァーリスの記録にあるAustriaは、作品が作られた時代の地理・政治的な文脈を反映しています。現在のオーストリア共和国の国境にそのまま置き換えず、地名と制作年を合わせて読みます。クレシュテルレの「German」という文化分類も、現在の国家の所在とは分けて扱います。
素材・窯印・年代
窯印と年代:記録から確かめる読み方
解説・図例を読む
窯印、年記、原型番号、成形職人番号、所有者の文字、金属部の印は、役割が異なります。ウィーンの1804年のカップでは、盾形印、804の年記、47の職人番号がそれぞれ別に記録されています。
本辞典の「窯印・年代」タブは、博物館の記述に基づく例を集めています。代表作品17点の全体像に加え、ウィーン宮廷磁器の同じ作品に対応する底面写真2枚を掲載しました。底面写真は当該作品の解説内で確認できます。使用期間を確定できない印は、確認できた個別作品の年代に留め、似た記号だけで真贋や制作年を断定しません。
無銘と明記された作品と、窯印欄に記述がない作品も異なります。記述の欠落を「印なし」に読み替えず、読めない文字や推定された作者については、その留保を残します。
窯印・年代の手がかり
年代表は本辞典の掲載作品と確認した資料に基づきます。印の全使用期間を網羅するカタログではありません。
素材・窯印・年代
論文で読む、贈答・収蔵・年代の関係
解説・図例を読む
モーリーン・キャシディ=ガイガーの2002年の論文は、プロイセン王妃ゾフィー・ドロテアのマイセン磁器と、1728年の王侯間の訪問を研究しています。冒頭では、王妃の頭文字SDのある蓋付高杯と台が、1738年のモンビジュー宮殿の財産目録によって王妃の所蔵品と確認できることを論じています。
ここで大切なのは、器にある頭文字、文書上の所蔵、贈答の仮説、造形上の年代を分けて考える方法です。訪問年をそのまま焼成年とせず、図像と史料を照合する研究の一例として紹介します。下の論文リンクから原文を参照できます。
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