ルネサンス期(14世紀〜16世紀)の工芸は、単なる手仕事から「知的な芸術」へと昇華された歴史的な転換点である。フィレンツェのメディチ家やヴェネツィアの商人など、東方貿易や金融業によって富を蓄積した新興市民階級が、新たな文化の担い手となった。自身の権力や教養を誇示するため、教会への寄進にとどまらず、私的な宮殿や邸宅を彩る室内装飾、特注の家具、金工品などに莫大な資金を投じ、これが高度な世俗的工芸の需要を生み出した。また、1453年のコンスタンティノープル陥落に伴い、ビザンツ帝国の知識人が古代の文献(プラトン哲学など)を携えてイタリアへ亡命。これにより、古代の神話モチーフやカメオなどの古典技法、そして建築のオーダー(円柱様式)が、工芸デザインの絶対的な規範として復活を遂げることとなった。

出典:メトロポリタン美術館
「音楽の寓意」 Laurent de La Hyre 1649
小鳥は自然の音、楽譜などは人口的な音楽理論、それらの対比が表され、調和のメタファーとして楽器の調律が描かれている。
ヴェネツィアン・グラス
ルネサンスの人文主義的な美意識は「透明性」と「純粋性」の探求にも向かいました。15世紀半ば、ヴェネツィアのガラス職人アンジェロ・バロヴィエールは、原料である珪砂と海藻灰に脱色剤(二酸化マンガン)を添加する製法を確立し、天然の水晶のように無色透明なガラス「クリスタッロ」の生成に成功します。これは当時の錬金術的・化学的な実験の成果であり、東方交易による最高級の原材料の独占と相まって、ヨーロッパ中の宮廷を魅了する知的な特産品となりました。
マヨルカ陶器
イスラム圏の技術を起源とし、スペイン経由でもたらされた錫釉(すずゆう)陶器は、16世紀のイタリアで「イストリアート(物語画)」と呼ばれる独自の様式を確立します。白く不透明なキャンバスとなった器の表面には、古代ローマの歴史家リウィウスの著作や、オウィディウスの『変身物語』といった文学的・神話的エピソードが、絵画と同じ線遠近法を用いて描かれました。ルネサンス期に培われたこの錫釉陶器の技術と思想は、後の17世紀におけるオランダのデルフト焼やフランスのファイアンス焼きなど、ヨーロッパ各地の陶芸発展の直接的な基盤となります。

出典:当店所蔵品
ファソン・ド・ヴェニス 17世紀後半
ルネサンス期にイタリアで盛期を迎えたグラスは、職人がヨーロッパ各地へ移り、その技術を伝え、各地でガラス産業が栄えるきっかけとなった。

出典:当店販売品
デルフト 17世紀後半
デルフトの白は評価が高く、17世紀陶器を代表するもの。デルフトのような陶器はデルフト以外のオランダだけでなく、イングリッシュ・デルフトのように各地で製造されている。なので広義の意味でこの時期のデルフトスタイルの陶器全般をデルフト呼ばれる場合もある。
ジュエリー
ルネサンスにおいて金細工工房は、全ての造形芸術における基礎訓練の場でした。ブルネレスキやボッティチェッリといった巨匠たちも、金細工師としてキャリアをスタートさせています。古代遺跡からの発掘品の研究が進むと、インタリオ(沈み彫り)やカメオ(浮き彫り)の技術が復興しました。精緻な金工品を所有することは、単なる富の誇示ではなく「古代の美意識と知性を所有する」ことと同義とされ、やがて解剖学的な人体構造の理解に基づくマニエリスム的な装飾へと発展していきました。
オーリキュラー様式
17世紀前半に流行した装飾様式。主に金属工芸や建築や木工芸などでよく用いられた。まるで溶けるように滑らかな表現で、耳や巻貝の内側を連想させることからそのように呼ばれる。このデザイン様式は一部定番化し、後世まで用いられた。特にユーゲントシュティールの際にもその影響は垣間見れる。

出典:アムステルダム国立美術館
水差し アダム・ファン・ヴィアネン作 1614年
全体が曲線で表現されたオーリキュラー様式の代表作品。
バロックの美術工芸はよく大袈裟とされるが、単純に過装飾なわけではなく、その裏側にあるものを読み解かなけければならい。様々な概念、知的表現が隠れており、読み解く側に知識が求められる。
【参考文献】
『バロック 文化、神話、イメージ』(アンドレア・バッティスティーニ、2023年)