1750年生まれ。1778年にケンブリッジシャーとハンティンドンシャーのシェリフ(州知事)となり、政治家として活動。アメリカ独立戦争では英国軍の食料配給者として活躍。首相候補となるもウィリアム・ピットに敗北。1788年、フランスへ移住し、1790年にブランシェロン(Etienne Jean Louis Blancheron)をとしてクリュッソル通りに工房を設立する。イギリス皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の庇護受けたため、Manufacture du prince de Gallesと称した。1792年にはシャンティイ窯を買収、スイスの有力工房となったニヨン窯を設立したフェルディナンド・ミュラー(Ferdinand Müller)を加え、磁器製造業に革新をもたらし、パリでも重要な一人となった。1793年にバラン(Jacques Bernard Balan)に工房を売却するも、1794年にはブランシェロンが買い取った。1798年にトロワボルヌ通りに移転、工房は1802年に破産した。ポッターは政治家だったこともあり、フランスへ移住後も帝室とかかわりが深く、1802年にイギリスとフランスで結ばれたアミアンの和約にも、その締結のため活躍したとされる。1817年、イギリスにて死去。

詳しい解説

クリュッソル通りのポッターの製品は硬質磁器で、カップや食器の装飾には幾何学的な文様と花、昆虫を組み合わせる例が紹介されています。規則的な線や区画の中に自然のモチーフを置く構成は、器の輪郭を整える装飾と、絵付けによる変化を両立させるものです。書籍は現存作品の丁寧な装飾を評価しています。

署名は「Potter à Paris」、頭文字「CP」などで、金、赤、刻み印の例があります。ただし「CP」は軟質磁器を製造したクレピ=アン=ヴァロワにも見られるため、頭文字が一致するだけでは帰属を確定できません。色や文字形に加え、硬質か軟質かという素地の性質を確認する必要があります。同じクリュッソル通りには後に別の絵付け工房も置かれたので、通りの名だけでポッターの製品と判断することも避けます。

詳しい解説の出典
  • Geneviève Le Duc et Henri Curtil『Marques et signatures de la porcelaine française』、Éditions Charles Massin、印刷107–108頁