出典:メトロポリタン美術館

コーヒー&ティーサービス 1855年~1861年 
セーヴルのシノワシリーズ。Hyacinthe Régnierによってデザインされた(シノワシリーズはその後も製造し、セーヴルを代表するシリーズとして知られている)。

出典:メトロポリタン美術館

アコーディオン Alexandre Pere & Fils 1850年~1855年

中国七宝に影響されたエナメル装飾のアコーディオン

ナポレオン3世が統治していた時代(1852年~1870年)の文化は特徴があり、現在でもナポレオン三世期として1つの芸術様式のように言われることが多い。特に流行したのがシノワズリ(中国趣味)である(シノワズリは18世紀に一度流行しているが、再度流行した)。七月王政期の1842年にアヘン戦争終結のためイギリスと清で南京条約が結ばれ、続いて1844年にはフランスとの間で修好通商条約(黄埔条約)が結ばれるなど、フランスに中国文化がもたらされるきっかけがあり、そして第二次アヘン戦争(アロー戦争)によりイギリス・フランス連合軍は戦に勝利、多くの美術工芸品を持ち帰ったとされる。それら影響でフランスではシノワズリが流行し、清七宝を真似たクロワゾネといったエナメル彩色や竹をモチーフにした家具、漆器をイメージした黒色の工芸品など中国風のスタイルが流行した。

出典:『Le magasin pittoresque Juillet 1855』

1855年に出品された磁器製の花瓶。

ルネサンスやゴシックなどリバイバルの要素が多い。

出典:メトロポリタン美術館


プレート  1866年~1875年
フェリックス・ブラックモンがデザインし、ウジェーヌ・ルソーが協力しLebuf et Millietで製造されたファイアンスのプレート。ブラックモンはジャポニスムを広めた重要人物である。日本らしい余白を生かした自然的な表現を取り入れている。

1858年日仏修好通商条約が結ばれた。幕末から西洋列強が日本の開港を迫り、日本の文化も西洋へと渡るようになった。そして開港により日本文化はヨーロッパでブームとなるまでになった。いわゆる「ジャポニスム(英語でジャポニズム)」である。また日本の工芸品は多く輸出された。万博でも高い評価を得た薩摩焼や、廃刀令によって職を失った金工が輸出向けに優れた金工品を製造・輸出した。

産業革命後、工業生産への移行は進んでいった。ナポレオン3世はサン・シモン主義に傾倒しており工業生産化を進めた。その代表例が、クリストフルによるシルバープレート(電気メッキ技術による銀メッキ)の製品である。ナポレオン3世は1852年皇帝となった後、クリストフルに4000ピースのサービスを発注しました。これは銀無垢ではなく、シルバープレートで作らせました(クリストフルは電気メッキ技術を英国エルキントン社から取得)。そしてそのサービスが1855年のパリ万博に並べられ、世界に誇示した。結果としてクリストフルはトップの賞であるGrande Medaille D’Honneurを受賞し、シルバープレートが一般化していくととなった。

出典:当店販売品

ナポレオン3世の公式サーヴィスより、クリストフルのシルバープレートによる大皿。

ナポレオン3世期は、中世リバイバルの影響や東洋の影響など非常に多国的なデザインが多く、また第二帝政だけあって帝政様式も交わり、他の国とは違うフランスらしさが感じられる品物が目立つ。

【参考文献】