表紙図版:アタルーティの宝物群の聖杯 / The Metropolitan Museum of Art 出典 / Public Domain・CC0(表示範囲を調整)
330〜1453年/図版は6〜10世紀
コンスタンティノープル・東地中海
古代ローマの技術と、キリスト教の信仰が出会うビザンティンの工芸。銀の聖杯や象牙の聖像は、輝く素材を通じて、共同の典礼と個人の祈りを支えました。
「ローマ人」であり続けた人々
330年、コンスタンティヌス帝はビュザンティオンを新たな帝都とし、コンスタンティノープルと名づけました。今日「ビザンティン」と呼ぶ国家の人々は、自らをローマ人と認識していました。東ローマの歴史は西方とは異なる道を歩み、1453年の都の陥落まで続きます。
千年以上にわたる歴史のあいだに、領土、言語、政治、宗教表現は変わりました。工芸を一つの固定した様式にまとめるのではなく、制作地と年代を確かめる必要があります。ここでは初期の銀器と、中期の象牙彫刻を取り上げます。
参照:[1]
聖杯に刻まれた共同体の記憶
シリアのアタルーティに由来する宝物群には、聖杯や香炉などの典礼用具が含まれます。掲載の銀杯には星と十字架、村の聖ヨハネに関わるギリシャ語の銘があり、器が特定の教会と共同体に属していたことを伝えています。
銀器の価値は重さや加工の精密さだけではありません。奉献の言葉や祈りが刻まれることで、寄進者と信仰の記憶を留める役割も担いました。金色と銀色の組合せを、食卓の贅沢品とは異なる典礼の場面に置いて考えることができます。

500〜650年|シリア、アタルーティ/ビザンティン|銀、鍍金銀
メトロポリタン美術館蔵|1986.3.9
Purchase, Rogers Fund and Henry J. and Drue E. Heinz Foundation, Norbert Schimmel, and Lila Acheson Wallace Gifts, 1986
作品情報・出典 / Public Domain・CC0
小さな象牙に凝縮された聖像
10世紀半ばの《磔刑のイコン》は、もとは左右に扉を備えた三連形式の一部でした。現在残る中央部分では、十字架と人物を建築の枠が囲みます。個人の祈りに用いられた可能性があり、手元で細部を眺める大きさに作られています。
十字架の下に横たわる人物は、古典世界の冥界の支配者ハデスを表します。キリストが死に打ち勝つという意味が、古代由来の図像を通して表現されています。ビザンティンの美術は古代を捨て去ったのではなく、その表現を新たな信仰のなかで組み替えていました。
参照:[5]

10世紀半ば|恐らくコンスタンティノープル/ビザンティン|象牙
三連形式の中央部分。左右の翼は現存しない。
メトロポリタン美術館蔵|17.190.44
Gift of J. Pierpont Morgan, 1917
作品情報・出典 / Public Domain・CC0
古代と中世のあいだをつなぐ
金工、象牙彫刻、織物などの作品は、外交や交易、戦争によって各地へ移りました。西ヨーロッパで別の装具を加えられたビザンティンの象牙も残っています。作品は制作された場所だけに属するのではなく、移動先で新たな用途や価値を与えられることがあります。
参照:[3]
出典・参考資料
- Sarah T. Brooks, Byzantium (ca. 330–1453)(2001/2009改訂)
- The Met, The Attarouthi Treasure — Chalice, 1986.3.6
- Julien Chapuis, Romanesque Art(2002)
- The Met, The Attarouthi Treasure – Chalice (1986.3.9)
- The Met, Icon with the Crucifixion (17.190.44)
本文は上記の資料と作品情報を参照した解説です。作品名の日本語表記は説明用の訳です。年代・帰属の「頃」「恐らく」は所蔵館の記載に従います。図版は同館がPublic Domainとして公開する画像を使用しています。