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ジャポニスム

ジャポニスム

1867年、パリで2回目となる万国博覧会が開催された。この万博で注目されたのは初となる日本の参加だった。江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展をし、日本の芸術をヨーロッパに伝えた。特に薩摩焼は高評価を得て、欧米へ大量に輸出されるきっかけとなった。日本の文化は1850年代ごろから浮世絵などを中心に注目されており、1860年代に急速に流行した。画商サミュエル・ビングはジャポニスムの発展に大きく関与し、『芸術の日本』を刊行するなどした。そのビングがのちに店の名前として「アール・ヌーヴォー」を使用したように、ジャポニスムはのちに巻き起こるアール・ヌーヴォーへ多大な影響があった。明治になって以降も、西洋へ多くの名品が製造され輸出された。七宝の並河靖之、象牙彫刻の安藤碌山、金工の正阿弥勝義などはその代表的な人物であり、起立工商会社をはじめとして、サムライ商会やクーン&コモル商会、アーサー&ボンド商会のような外国輸出を得意とした貿易商・リテイラーも発展した。


陶磁器

ジャポニスムの磁器は各国で流行した。特にイギリスではジャポニスムの発展に活躍したクリストファー・ドレッサーがデザインしたミントンや、ジャポニスムの名品を多く製造したロイヤル・ウースターはその代表的な窯である。フランスでは『北斎漫画』を流行させたフェリックス・ブラックモンがそのデザインをファイアンスに落とし込みテーブルウェアをデザインした。また日本の陶磁器も人気があり、京薩摩の錦光山や大阪薩摩の薮明山、神戸薩摩の精巧山など各地で輸出用に製造された。

出典:メトロポリタン美術館

花瓶 1873年頃

英国ロイヤル・ウースター製。ウースター社は特にジャポニスムに傾倒した。


出典:メトロポリタン美術館

花瓶 1870年〜1880年

ジャポニスム・ガラス工芸の先駆者ウジェーヌ・ルソーの花瓶。

ガラス

ガラスの分野でもジャポニスムは浸透した。特にフランスは顕著で、ウジェーヌ・ルソーやアペール兄弟エミール・ガレなどが活躍した。パリの高級店エスカリエ・ド・クリスタルではジャポニスムの名品が多く集まり、その発展を担った。バカラなど大手のガラス工房もジャポニスムの作品を製造した。作風は非常に手の込んだ技術の高い製品が多く、アール・ヌーヴォーへとつながった。


金工

欧米に輸出されたのは陶磁器だけでなく、金工品も多く渡った。武家社会が終わり、廃刀令によって職を失った明治時代の金工たちはこぞって名品を作り西洋に輸出し欧米で高い評価を得た。その影響もあり、ヨーロッパの銀器にもジャポニスムの影響がみられる。イギリスのフレデリック・エルキントン、アメリカのティファニーやゴーハムもジャポニスムの作品を制作した。中には日本の金工とコラボレーションをした作品もあった。

出典:メトロポリタン美術館

チョコレートポット 1879年

アメリカ、ティファニーの銀器。Charles Osborneによるデザイン。ティファニーは金銀細工部門長のエドワード・チャンドラー・ムーアが1867年パリ万博において日本美術に触れ、愛好家となり、ティファニーに日本の美をもたらした。


ジャポニスムのアンティーク

ジャポニスムは広く他分野に渡って影響がみられるように、絶大な人気があった。それに伴い日本の明治政府は工芸品の発展に力を入れており、内国勧業博覧会なども開催された。余白を活かすといった日本の表現はヨーロッパの工芸品に多くみられるようになり、花鳥図や家紋など図案化され普及したデザインも多く出回るようになった。



【参考文献】

『ジャポニスム展』(国立西洋美術館、1988年)

『もてなす悦び展』(三菱一号館美術館、2011年)