ナポレオン皇后ジョゼフィーヌが庇護していた名窯ダゴティ(Dagoty)が帝政崩壊後の1816年にオノレと提携し、4年間続いた時期のカップ&ソーサーです。
「Vue de Hollande」と、オランダの建物の景色が描かれたお品です。 1810年代としては珍しく、転写を用いています(色は手彩)。後世なら当たり前ですが、1810年代のパリでは珍しいことです(英国では18世紀からあり、この時代もバットプリントと呼ばれる転写が流行していました)。セーヴルでは1811年に有名な「Service des vues Swiss」で転写をメインにも使用した作品があります。その背景を考えると、ダゴティと提携したオノレは当時の最先端技術を多く取り入れた窯でした。特にセーヴルの所長であるブロンニャールとよくやり取りをしていて、様々な技術を得ていたところからこのような製品も生まれたのでしょう。オノレはほかにも磁器ペーストの機械プレスを初めて使用したり、1844年のパリ産業博覧会ではV&A博物館のコレクション元となったデザインスクールがオノレの転写製品を購入するなど、様々な技術を導入し評価されました。
そのようなパリにおける転写発展の初期のものです。
【Dagoty / ダゴティ】
ピエール=ルイ・ダゴティ( Pierre-Louis Dagoty,1771-1840)による工房。もともと芸術に長け、宮廷ともつながりがあった一族で、父親は現在でも非常に有名なマリー・アントワネットの肖像画を描いた画家ジャン=パティスト・アンドレ・ゴーティエ=ダゴティ。ピエール=ルイは、最初は兄弟で活動。当時の有力工房ディール&ゲラールで磁器業を学び、その後1798年にイタリアン大通りで絵付け工房を始め、1800年、シュヴルーズ通りの工房をリース契約し活動を始める。1804年に皇后ジョセフィーヌに庇護を受け(〜1814年)、ヴェルサイユ宮殿へ磁器供給も行った。人気を博し、特に贈答用として好まれるなど、パリでも随一の工房となった。ナポレオンの第一帝政終了後の1815年からはルイ16世とマリー・アントワネットの娘であるマリー・テレーズ・シャルロット(アングレーム公爵夫人)の庇護下に入る。1816年にオノレ(Honore)と提携、1823年までピエール=ルイは活動した。
帝政期のパリでも最高品質の磁器を製造した窯の1つであり、独特な形状や絵付けなどで製造し、現在でも高く評価されている。
【エドゥアール・オノレ / Edouard Honoré】
1785年設立のオノレ(Honore)窯で、フランソワ・モリス・オノレ(Francois Mourice Honore)の息子として1812年に経営参画する。新しい技術を次々取り入れ、特に転写に関しては特許なども保持していた。セーヴルの所長ブロンニャールと付き合いがあり、様々な技術をセーヴルから取り入れている。1816年からダコティ窯のピエール=ルイ・ダゴティ(Pierre Louis Dagoty)と資本提携をする。1820年に資本提携を解消したのちも手腕を発揮し、工房を発展させた。1855年死去。
年代/PERIOD | 1816年〜1820年 |
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刻印 /MARK | P.L.DAGOTY & HONORE(カップのみ、スレあり) |
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状態/CONDITION | 良好 (多少金彩スレあり)Good |
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サイズ/SIZE | カップ 直径 6cm (
ハンドル含まず) 高さ6cm 直径 ソーサー直径13cm |
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